周桑物語

繭を完成させてから1週間経った頃、頑丈な繭に穴を開けてねじり出てきます。その手法は次の通りです。
蚕蛾は「コクナーゼ」というタンパク質分解酵素を分泌して、絹糸同士を接着しているセリシンというタンパク質を分解しています。このことで、繭の先端だけがふやかされて蚕蛾が外にねじり出やすくなっているのです。
誰に教えてもらったのでしょうか。センスオブワンダーです。
蚕蛾は飛ぶことができません。翅が退化したからです。実は人類がそうさせました。人間の都合に合わせて進化させられた蚕ですが、絹糸を吐くという素晴らしい能力によって、人間から餌を与えられ、その遺伝子をつなぐことができました。逆を返せば、蚕だけの力では自然界で生き抜くことはできなくなったのです。
この蚕蛾は、産卵を終えれば天命を全うすることになります。そして来年その卵が孵化して今回と同じことを繰り返されます。人類が絹糸を必要とする限りにおいてですが・・・。
蚕の飼育日記はこれで終わりです。


周桑物語
「蚕で探究Ⅰ」では、愛媛県内の高校生が取り組んだ蚕を用いた科学研究について10回に分けて紹介しました。
今日から始める「蚕で探究Ⅱ」では、桑と蚕に関連した素材によるものづくりを通して、地球環境問題解決の糸口を得た、愛媛県内の高校生たちが経験した様々な事例を、実際にその当時の高校生が書き残した日記をもとにしてまとめた文章と写真で紹介していきたいと思います。
では本編に移ります。

その①「こんなに大変だとは思わなかった。」
とある高校に入学したばかりの彼は、洗った桑の葉を拭きながら「こんなに大変だとは思わなかった。」と感じていました。
彼は、環境を探究する部活動に入部していました。地球環境に興味を持っていて、環境保全に関する専門知識を得たいと考えていたからです。
それにもかかわらず、部の顧問から、「1学期は蚕を飼育しなさい。」と告げられ、蚕を飼育することになったのです。
彼がイメージしていた活動とはまったく違うものでした。
部員は彼一人です。蚕の卵を渡されてからの一か月と半月は、毎日蚕の世話をしました。
2000頭余りを飼育すると、蚕が成長するにつれて桑の葉が大量に必要となり、顧問の先生がお借りしている桑園で桑の葉に採取に毎日出掛けました。
桑園といっても今から45年ほど前まで養蚕業を営んでいた農家の方にお借りしているもので、いまやジャングルのように荒廃した状態です。
そこで数10kgもの桑の葉を採取して、学校で水洗いし、水分を拭きとってから蚕に与えました。
大量にあった桑の葉もあっという間に蚕は食べてしまい、糞だけを残すので、毎日餌やりと糞の掃除をしなければなりませんでした。
そのうち蚕は繭を作り、羽化して交尾し卵を産みつけ命を全うしたのでした。蚕の飼育そのものは新鮮で神秘的な経験でしたが、疑問に思わなかったわけではありません。
「なぜこの部活動で蚕なのか?」
何度か先生に聞いてみたのですが、「そのうち分かる」というだけでした。
蚕で探究 Ⅱその②に続く
周桑物語

みんな繭になりました。
繭の中には蛹(さなぎ)がいます。
実際に繭から絹糸を紡ぐ本来の用途として利用するならば、このまま茹でられて中の蛹も茹で蛹となってしまします。
今回、繭は利用しますが糸を紡ぎませんので蛹は取り出しました。みんな蛾(成虫)にする予定です。
現在、本校に来てくれているアメリカ出身のGwenさんに先日、蚕を紹介したらとても興味深そうに観察してくれました。
蚕は“Silkworm”蛾は“Moth”だそうです。
平成の映画で「ゴジラ対モスラ」(昭和の映画では「モスラ対ゴジラ」)という映画があり、モスラは蚕にそっくりです。
蛾を“Moth(モス)”というからモスラなのでしょう。“ラ”は何なのでしょうか?
これらの映画は、「環境破壊」と「家族愛」をテーマとしており、モスラは環境破壊を繰り返す人類に警鐘を鳴らす存在でありつつ、人類が窮地に陥った際には助ける優しさを持つ怪獣として描かれています。
人類は地球環境を守る神秘的な力を蚕に感じてきたのかもしれません。
もしかすると、本当にその力を蚕が持っているのかもしれません。
周桑物語

遊び心に端を発した「オオクワガタを大きくしてみんなを驚かせてやろう」という高校生たちの思いは、彼らの後輩たちによって「カイコで産業に貢献する」という野望へと成長したのでした。
今、産業としての養蚕業は衰退しています。多くの伝統産業が衰退しているように古い産業は廃れていく運命にあるのかもしれません。
しかし彼らは、「温故知新」という言葉があるように、 カイコ(古いもの)に、新しい可能性を感じることができたのです。
自分たちの研究が衰退している産業を救うだけでなく、バイオ新産業という最先端の分野に貢献できるかもしれないからです。
「イカの軟甲やシャコエビ、ワタリガニの殻というごみ」、「廃れ行く養蚕業の中で役割が終わったとされていたカイコ」というように、あらゆるものが探究対象になりうるという、探求者にとって当たり前であり大切な姿勢を、探究活動を通して実感し学びとりました。
そしてその後の彼らのキャリアにも影響を与えたことは言うまでもありません。
「探究する」とは、必ずしも当初の目的に帰着させなければならないものではなく、継続する中で方向性が変化することの方が多いです。
そして、あきらめずに継続できれば必ず結果は出ますし、納得いくものになります。
成功の秘訣はただ一つ「わくわくする」探究活動であるということなのです。
【蚕で探究Ⅰ おわり】
周桑物語

動物の命を守ることに自分たちの実験結果が役に立つ可能性があることを知り、この研究を多くの人々に知ってもらいたいという気持ちが強くなった高校生たちは、この技術を特許として公開すれば、活用してくれるかもしれないと考え、特許を申請することにしました。
ただ、申請には費用と専門知識が必要なので、自分たちだけでは到底果たすことができないことはわかっていました。
そこで先生に相談すると特許庁などが主催する「パテントコンテスト」というコンテストを紹介してくれました。
このコンテスは、高校生、高等専門学校生、大学生を対象に自ら考え出した発明を募集するもので、入賞者には、特許庁への出願手続を支援していただけるとのことでした。
高校生たちはすぐに応募のための書類をまとめて提出しました。その結果、「特許出願支援対象」となり、それから数か月間の書類作成期間を経て特許申請に至りました。
それからしばらくして、「拒絶通知書」というものが送られてきました。特許としては未完成であるとの通知でした。
それでもあきらめず高校生たちは、その拒絶理由を解消するために修正した「手続補正書」を提出しました。
それでも、また「拒絶通知書(最後)」という、これに対する手続補正が拒絶されたら申請は無効となることを意味する書類が来てしまいました。
しかし、それでも高校生たちは最後の「手続補正書」を先生方の手も借りながら完成させて提出しました。
そして、数か月後に審査官が「特許として認めてもよい」と判断された際に届く「査定通知」が届きました。
【蚕で探究 最終回に続く】
※この物語はノンフィクションです。